碍子:電線を支え絶縁するために天井、電柱などに取り付ける器具。 磁器、ガラス、合成樹脂などで作る。碍子と電線リビングに横になって天井を見上げると節目が刺さった太い垂木と梁が丸見え、電線を支持する陶磁器素材の碍子を外側に装着し、最近基準で少し不慣れな姿が目に入る。 幼い頃、田舎の家は構造的に全て電線を表に出すしかなかったし、電気に慣れていなかったその時代にはそのような姿が愉快でない恐怖で刻印されていた。 このごろカフェやレストランで昔の囃子と電線を現在に呼び出してインテリアとして活用している姿をたまに見たりもするが、新しい私の生息地で幼年の姿をまた見られるとは~~時間が経てばずいぶん前、特に幼年の記憶はすべて懐かしさに置き換えられるそうだ。 伝記に対するいかなる経験的恐怖ではなく漠然としたそれだったため、成人になった今、より一層容易に見ることができなくなった戦線と碍子に対する記憶は情感を漂わせる懐かしさの対象となった。 私のバケットリストの中には死ぬ前に必ずしたいことが8つ含まれている。 その一番目が田舎に入ってサードエイジ(Third Age)を買うことだ。 一生「私たち」として生きてきた人生で、完全に「私」としての人生を生きたいからだ。 考えが決まった後からインターネットを検索し、ユーチューブを見ながら帰村するところをリストに作成し始めた。 長い間、全国津々浦々で写真撮影をしながら生活の基盤として適したところに注目したりもした。 一番住みやすいところ、いや一番住みたいところとして提川、槐山、平昌が決まり、気に入ったところがあれば直接訪ねて回った。 でも夢にさえ思わなかったここ扶余で定着するとは! 実際、ここのオッカルメコルに生活の基盤を定めたいくつかの理由の一つが、すぐ外に露出された天井の碍子と電線が大きな役割を占めた。 そしてその天井は本当に深い。天井が深くて昼間も夜も光がそこまで多く到達できないため、むしろ何なのか遥かな考えを呼び起こし、また暖かくなる感じでよく天井バラギをするのも私の日課の一つになった。 私たちは時には大きすぎるものから人生の意味を見つけ、幸せになろうとする。 詳しく見て関心を持って観察してみると、小さくて些細なことでも十分に心温まる情感と幸せを見つけることができる。
碍子と電線



